「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」を読んで自分の中で完結しました。
はじめて書評を書きます。
本のタイトルは「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」著・河野啓(集英社)です。
栗城史多という人物をご存知でしょうか。
彼は若き登山家でしたが、2018年5月21日にエベレストで滑落死をしました。
その言動や登山スタイルが多くの人の注目を集め、そして、賛否どちらの声も集まる人物でした。
彼の目標は「単独無酸素で七大陸最高峰を目指す」というものでしたが、
これについては「単独」や「無酸素」という定義が曖昧であり、物議を醸しました。
快く思っていない人もかなりいたと言わざるをえません。
栗城史多とは何者だったのか。
僕が栗城史多さんを知ったのは2008年ごろだったでしょうか。
そのころはまだ時代の寵児といった感じで、テレビにも多く出演して、世間では彼を称賛する声が多かったと記憶しています。
正直にいえば、僕も彼の情報をチェックしていましたし、魅力を感じていました。
スポンサーであるミレーのギアもそのころよく見ていましたね。
講演会にも行きました。
当時くすぶった大学生であった僕にとって、「夢」や「挑戦」ということをテーマにした栗城さんの講演は刺激的でした。
しかし、いつだったからか、否定されたたかれる姿を目にするようになりました。
「単独ではない」「山の実力が足りない」
たしかにもっともな意見です。
本物の登山家から見たら、認められる存在ではないでしょう。
数度にわたるエベレストへの挑戦も、敗退の連続。
2012年には凍傷で9本の指を失います。
栗城史多という単独の人生
デスゾーンで語られた栗城さんの姿は、リアルな一人の人間の姿でした。
「夢」や「冒険」を掲げ、理想に向かってただひたむきに山に挑戦する登山家。
そんな姿を演じつつも、現実や実力がその理想には届かない。
だからといって、もう引き返せない。
応援する人やスポンサーの期待、そして彼自身の責任感が、彼の人生を休ませることなく走らせてしまったのではないかと思います。
河野氏の著書では、最後このように結ばれています。
栗城さんの登山は無酸素ではなかった。
だが、彼の人生は、天を突くエベレストの真っ白な頂のように「単独」だった。